ウィーンの森から見たウィーン市内
白アスパラガス Spargel
アスパラガスの歴史ですが古代ギリシャ人はグリーンアスパラガスの茎でなく、根を乾燥させ、そこから強力な利尿薬を作ったようです。裕福なローマ人にとって、アスパラガスは茎まで美味しい食べ物でした。そのローマ人がアスパラガスをヨーロッパに持ち込みました。ローマ人がアスパラガスをヨーロッパ、とくにドイツで急速に広まったというのは主に修道院の庭で作られ僧侶が薬用植物として栽培したからで、ドイツでは16世紀以降、アスパラガスは食卓に置かれることが多くなり、とりわけ、王室はおいしい野菜を望んでおり、フランスのルイ14世は、冬の間も庭師にアスパラガスの栽培をを強要したようです。

Gemüsespargel野菜アスパラガス

ドイツでは、アスパラガスはシュトゥットガルトラストガルテンで最初に食用として栽培され、17世紀半ばには普及しました。しかし、野菜は、アスパラガスを缶に保存することができた19世紀の終わりに急速に売れ始め、多くの農民が自分たちの畑をアスパラガスに変え始めました。

野生のアスパラガス

アスパラガスも19世紀以前はグリーンアスパラガスとして独占的に栽培されていましたが、ドイツではほとんど地下で栽培されています。それはホワイトアスパラガスが偶然発見されたからで、害虫から保護することを目的に植物の上に土を積み、地下で栽培され、ドイツ人はホワイトアスパラガスを好むようになったようです。実際現在でもスイスの地方などはグリーンアスパラガスが主流でホワイトは高いのであまり流通していなかった印象がありました。
これはあくまでも私の印象なので信用しないで下さい。
2回の世界大戦中、アスパラガスには栄養価が無いという事で、アスパラガスの生産はほぼ完全に停止しました。第二次世界大戦が終結するとすぐに、アスパラガスの栽培が大きなブームになり、現在まで続いています。
狂気は毎年増加します。ドイツには、アスパラガスフェスティバル、アスパラガスパレード、アスパラガスピラミッドがない場所はほとんどありません。多くのアスパラガスの女王は、夏まで、市長、協会の代表者、さらには首相から牽引して全国を旅して宣伝します。
現在スーパーマーケットに出回っている白ワインの3分の1には、「アスパラガスワイン」というラベルが付いています(ちなみに、売れ残ったバッチは7月にシルヴァーナーとして再ラベル付けされます)。
特にドイツでは春を目覚めさせる野菜として知られますが、アスパラの形から
男根として敬っていていると心理学者のLonneckerは言います。「したがって、多くの消費者はアスパラガスをエロティシズムと関連付けています。」
最大のアスパラガス生産者ランク    国           数量(t)
1            中華人民共和国    8,303,392
2            ペルー        366,758
3            メキシコ              272.202
4            ドイツ        130,560
5            スペイン              58,610
6            イタリア              49,910
7            アメリカ              34,180
8            日本           27,426
9            イラン        25,696
10          フランス              19,990